備忘録

俺は早朝に飛び立つ

読書中:晴山/立川/菊川/川野『上級現代文Ⅰ』(2011, 桐原書店)

・設問パターンを12にわけ、各3題の計36題から構成されている問題集型の現代文参考書。
・問題はすべて記述。あと若干の漢字問題。百字要約がされているので自分で要約してもいい。

原研哉『白』(2008, 中央公論新社

■解8
「要するに記述問題では、どんな問題でも、できるかぎり筋の通った明快な解答を書くことを心がけるということが必要なのである。」

「筋の通った」とは。
逆に「筋の通ってない」解答とはどんなものかと考えると、論理が破綻してたり、問題に答えてなかったりというような解答というのが穏当な解釈だろうか。とすると言うまでもない心がけに思われるけど、まあ「必要」なことではある。

■解9
【学び】
・ともすれば感覚的・比喩的であるような表現はどういうことをいっているのかがわかりにくいため、避けた方がよい。

だけどその判断はどうやって……

日高敏隆『春の数えかた』(2001, 新潮社)

■問8-9
「つまり、生きて殖えていこうとしているのは、種でも個体でもなく、遺伝子なのだというのである。」←まあわかる
「それぞれの種の一つ一つの個体がそうやって自分自身の子孫を殖やしていこうとするので、[…]」←???

■問9
「花はなんとかして昆虫に花粉を運ばせたい。」

進化論的な話題なんかでよくあるこういうレトリック気に食わない。そこがキモであるようなところでは学問的に正確であれ。
これの厄介なところはこれを、文字通りにとは言わないまでも何かしら実質を伴ったものだと思って言っている/受け取っている人間が──おそらくは少なからず──いることなんだな。どうにかならないですか。

■解10
百字要約、めちゃくちゃ本文中の、完結性・自立性を持たない表現を使ってるけど、これは問題ではないからなのか?
たぶんそうです(自己解決)

■解11
「自分の答案を読んでくれる人(=採点者)は、自分の知らない赤の他人だ。その赤の他人が読んでも意味がわかる解答を書くこと、これが記述問題に答える際に最も重要なことなのである。」

言わんとすることはわかるけど、自分が知っている人だからより自分(の書いた解答)をわかってくれるなんてことはないでしょう。
むしろ求められているものは、本文においてのみ意味を持つ比喩や言い回しを排して、本文を知らないいかなる分野の(標準的な読解力と知識をもつ)人間が読んでも意味がわかるような解答でしょうね。
本文にそんな比喩や言い回ししかなく、言い換えも困難なときはその限りではないだろうけど。

■解13
【学び】
・それだけではどういうことかわかりにくい漠然としている内容は無理に解答に盛り込まなくてよい。

だけどその判断はどうやって……

粟津則雄『日本洋画22人の闘い』(1988, 新潮選書)

■解16
「西洋人と日本人の感覚の違いについては、主に段落2で説明されている。」
「[…]外界を強固な物質としてとらえることを好む西洋人と、[…]」

本文からそう言えるかは微妙だが、すくなくとも「段落2で説明されている」ことではない。

■解16
構造図曰く:
〈西洋人の物質感覚・空間感覚〉
・自分と外部を明確に区別する。

〈日本人の物質感覚・空間感覚〉
・自分と外部が相互浸透するのを好む。

間違いではないが、物質感覚・空間感覚の例として挙げられたにすぎない外部うんぬんの話を──そしてそれだけを──ここに書くのはちょっと下手では。

■解17
岡田暁生『音楽の聴き方』(中公新書

音楽を語ることについて。気になる。

■解19
本文「油絵は、ヨーロッパという特殊を普遍と思い誤りかねないほどの[…]」について、
「つまり、明治期に初めて油絵を見た日本人たちは、a[=ヨーロッパ特有]であるはずの油絵を、世界中のどこでも通じるような一般的なものだと勘違いしてしまったということなのである。」

違います。

■解19
・解答では、完結性のある答えを書く必要があるが、
・今回は傍線部の言い換えに加え、「なぜ油絵はそれほどの魅力を感じさせたのか」という点を盛り込まなければ完結したものにならない。

説明問題で、理由は必ずしも完結であるために必要不可欠ではないのだから、これでは説明不足である。
仕方ないから自分で考えるなら、「魅力がある」ことの説明においては、「どこに魅力があるのか」というのがかなり重要な要素であるから必要という話になるんではないか。

■解19
上で構造図が下手と言ったが、下手なのは解答作成兼解説者の読解の方であった。問3の解答は、日本とヨーロッパの思考形式に関して、外部うんぬんの話だけでは不十分とすべきだろう。

■解19-20
問4の解説はよく、学びが多かった。

解答はかなり曖昧なまとめ方ではあるが、本文自体が曖昧であり解答の制限字数も短いときはそれでいいということだろう(学び)

■解21
「そのぶつかり合いの生じる理由は何なのか」とあるが、これも「それらのどういうところがぶつかり合っているのか」と言った方が完結性に不可欠である理由が明瞭だろう。

■解21
「[…]亀裂や解体の[…]独特のありようをはっきりと見定め、長く困難な忍耐と刻苦とを通して、この亀裂や解体そのものを、進んでおのれの表現の動機にまで鍛えあげる必要があるだろう。」の下線部の内容を問う問題であるにもかかわらず、「見定め」ることや「忍耐と刻苦」について触れなければならないというのはおもしろい。
言い換え問題は、解答を傍線部に当てはめてみたら明らかに余計であるような表現を入れなければいけないときがある(気づき)


今回は問題が難しかった分、学びが深かった。どこの問題かと思えば東大(1991年)であった(死)

今福龍太『ここではない場所 イマージュの回廊へ』(2001, 岩波書店

■問14-15
【言葉】
生態学的叡智エコソフィア
地球意識アースコンシャス

かっこいい。

■問15
曰く、エコロジー
・「科学的真理」という絶対的な理論的基礎を持っているようにみえる。
・「地球の生態学的維持」という科学的なテーマの万人にたいする正当性に裏打ちされている。

これ筆者はどういう立場なんだ? 絶対的な論理的基礎を持っているとまでは断言しないが万人にたいする正当性はあると思っているってことか。

■解25
本文曰く:
「これは、[…]きわめて狡猾なビジネス戦略といわねばならない。」

「どのような「戦略」か」を問うべきは下線部じゃなくて「これ」の方でしょう。「きわめて狡猾なビジネス戦略」は ただ きわめて狡猾なビジネス戦略でしかなく、解答のようにパラフレーズできるものではない。
でもどう設問を書き換えれば意図するものを問えるのか全然思いつかない。設問作成する側も大変だな。