備忘録

俺は早朝に飛び立つ

運命論の証明(p9)の敷衍と論駁

1. 準備

A, B, C……:「5/18に太郎が朝食にカレーを食べた」などの具体的な特定の事象、およびそれと後述の記号を組み合わせたもの。例えば、「5/18に太郎が朝食にカレーを食べ、かつ5/18に私は人間学の講義に出た」など。
※真である事象に限らない。すなわち、「5/18に私は人間学の講義に出なかった」なども含まれる。
※運命論に関連する範囲の議論なので、「三角形の内角の和は180°である」など出来事ではないものは含まない。とりわけ既に起きた出来事を考える。

A∧B:Aであり、かつBである。
表にすると以下。T=真、F=偽。

A B A∧B
T T T
T F F
F T F
F F F

A∨B:AまたはBの少なくともどちらかである。

A B A∨B
T T T
T F T
F T T
F F F

¬A:Aでない。
※意味を考えれば明らかだが、¬¬A=A

A ¬A
T F
F T

A→B:AでないかBであるかのどちらかである。¬A∨B。
※「ならば」と読まれるが、日常生活における「ならば」と意味がかけ離れているので注意する必要がある。詳しい話は省くが、「5/18に森田先生が講義中に咳をしたか、5/18に私が人間学の講義に出なかった」は真だが、だからといって「5/18に森田先生が講義中に咳をしなかったならば、5/18に私が人間学の講義に出なかった」が真なわけがないことから何となくわかってもらえると思う。(「任意のAに関して、F(A)→G(A)」となれば、日常の「F(A)ならばG(A)」とそう変わらない。)
※意味から明らかだが、A, A→BからBが導ける(A, A→Bが真ならば、Bは真)。

A B A→B
T T T
T F F
F T T
F F T


ここで、途中計算は省くが、

P Q P→Q ¬Q→¬P ¬P∨Q ¬(P∧¬Q)
T T T T T T
T F F F F F
F T T T T T
F F T T T T

となり、
P→Q=¬Q→¬P(対偶)
¬P∨Q=¬(P∧¬Q)(ド・モルガンの法則)
が成り立つとわかる。

◇A:Aが(論理的に)可能である。論理的というのは、概念レベルで矛盾しない限り最大限に広く可能性を取って、ということである。およそ想像可能ならば論理的に可能と言える。例えば透明人間になることは論理的に可能である。

F(A):Aは不可避的に真であった。
※まず浮かぶ疑問が、F(F(…)…)と二重三重にできるのかということである。もっともな疑問であるが、あとに持ち越す。

2. 前提[P1]〜[P4]の解釈

以下4つの式が(無条件に)真である前提とされる。以下のA, Bは全て変項(特定のものを表してるのではなくて、不特定多数のものが入る)。

[P1]F(A∧B)→F(A)∧F(B)
「どのA, Bに関しても、AかつBであることが不可避でなかった、またはAが不可避的に真であったかBが不可避的に真であった」
わかりやすく言い直すと、
「あるA, Bに関して、AかつBであることが不可避であったとき、Aであったことは不可避であり、Bであったことも不可避である」

これは問題なく正しいと言えると思う。

[P2]F(A)→A
「どのAに関しても、Aが不可避的に真ではなかった、またはAであった」
すなわち、
「あるAに関して、Aが不可避的に真であったとき、実際にAであった」

これも正しいだろう。

[P3]⊢¬A/⊢¬◇A
「どのAに関しても、仮定を置かずにAでないことが導けたなら、Aである可能性はない」

「(左辺)⊢(右辺)」で「左辺から右辺が証明できる」というほどの意味。左辺がないということは無前提に/論理だけで右辺が証明できるということである。「/」は上を置くと下が導けるよ、くらいの意味。
これも問題ないと思う。

[P4]A→◇F(A)
「どのAに関しても、Aでなかった、またはAが不可避的に真であった可能性がある」
すなわち、
「あるAに関して、現実にAであったとき、Aが不可避的に真であった可能性がある」

まず、Aが何らかの事象であるとき、これはまあ正しいだろう。今考えられている可能性は論理的可能性であり、決定論的世界観(起こることは全てあらかじめ決まっているという世界観)も矛盾するものではない。この世界において決定論が成り立っているならば、いかなる出来事も不可避的に成り立っていると言えるからだ。
Aは事象の他に、事象と記号を組み合わせたものも考えられる。それに関しても[P4]が成り立つかどうかは一見して明らかではない。
が、以下ではひとまず成り立っているとして証明を追う。

3. 運命論の証明

「いかなるAについても、現実にAであったとき、それは不可避であった」、すなわち(8)A→F(A)を示すのが目標である。

〈証明〉
背理法で(4)¬F(A∧¬F(A))を示す。
(1)F(A∧¬F(A))と仮定すると、
(1), [P1]より、(2)F(A)∧F(¬F(A))
(2), [P2]より、(3)F(A)∧¬F(A)
(↑この操作は説明してないけど、意味を考えればいけるのは自明)
であるが、これは矛盾する(Aの真偽によらず常に偽になる)。
よって、(4)¬F(A∧¬F(A))
(4), [P3]より、(5)¬◇F(A∧¬F(A))
[P4]に(A∧¬F(A))を代入して、(6)(A∧¬F(A))→◇F(A∧¬F(A))
だから、(6')¬◇F(A∧¬F(A))→¬(A∧¬F(A))(◀対偶)
(5), (6')より、(7)¬(A∧¬F(A))
(7')¬A∨F(A)(◀ド・モルガンの法則)
(8)A→F(A)(◀「→」の定義)

4. 証明の検討

まず指摘できることは、(8)は、事象以外のAに関しても言ってしまっており無駄に強い主張になっていることである。とはいえ、これに関しては「いかなる事象Aについても」とすればミニマムな主張にできる。以下はそう読み替えて(それでも言えることを)論じる。

論証の過程は真っ当であるからして、証明の可否はやはり①F(△)の中にさらにF(□)を入れられるのかと②[P4]が正しいのかにかかっているだろう。

(4)¬F(A∧¬F(A))は文章にすると次:全てのAに関して、「不可避的に「Aであって、かつAであることは不可避ではなかった 」」は偽である。
これが[P1], [P2]のみから導けたわけだが、果たしてどういう意味であろうか。

また、証明で[P4]に代入されているのは(A∧¬F(A))である。全ての事象Aの中で、「Aであって、かつAであることは不可避ではなかった」ものは、「「Aであって、かつAであることは不可避ではなかった」ことは不可避的に真でありえた」とも言えるだろうか。逆に、「Aであり、かつAであることは不可避的ではないが、このことは回避しえた」とはいかなる事態か。
何か起こった出来事が不可避的でなかったとき、(少なくともその時点におけるその場所は)決定論が成り立っていなかったことを示す。決定論が成り立っていなかったこと自体が不可避であったりなかったりするとはいかなる事態か。
ある出来事が不可避的に真であったことと決定論の不/成立が不可避的に真であったこととでは、「不可避的」の意味が違うであろう。前者は世界内における未/決定が問われるのに対し、後者は、後者は……?